『120年前の活力は今』
20世紀半ばまで工業地帯として栄えたニューヨーク州バッファローを取材中、セオドア・ルーズベルト大統領が就任宣言をした邸宅を見つけた。ここは、国定史跡として展示施設になっている。
首都ワシントンから遠く離れた町でなぜ就任式をしたのだろう?大統領たる者、首都ワシントンでやりたいと思わなかったのであろうか?
就任式がいかなる理由で行われたのかと学芸員に聞くと、「マッキンリー大統領がバッファローで暗殺されたがゆえに、副大統領から昇格するセオドア・ルーズベルトの就任式が関係者から言われるままに急遽行われたものだった」と1901年9月14日の就任宣言にまつわる話をしてくれた。
マッキンリーが当地を訪ねたのは、開催中のパンアメリカン博覧会を視察するためであった。近くのナイアガラの滝の水力を使った大規模発電が博覧会の'売り'で、地元のビルというビルは毎晩ライトアップされた。「アメリカ大陸の豊かな自然は私達に限りない発展の機会を与えてくれる」とか、そんな言葉が飛び交っていたという。
米国が大量消費文化を謳歌し覇権国家への道をひた走る20世紀の幕が開けたばかり。「町の人々は活力に満ち、無限の可能性を信じていた」と学芸員は言う。
あれから120年後の今、バッファローは中西部の「ラストベルト」(錆びた工業地帯)と同様、経済再生に取り組んでいる。この地に米国を支える活力がよみがえるのか、それともこれはもうどうにもならないことなのか…。町のこれからが気になるところだ。
『読売巨人軍親善試合』
私がプロ野球を知ったのは昭和41年(1966年)、小学校4年生のときでした。
当時福岡では巨人軍の公式戦が無かったため、巨人戦を見られるのは大リーグとの親善試合だけでした。
その年は、ドジャースがやってきました。試合は11月13日の日曜。小倉球場(現北九州市民球場)が会場でした。
野球の試合を見るなら、テレビではなく生で見たい。そして何よりも、会場へ行けば王貞治選手を生で見られることだし、私は、こんな機会はないと、父母にねだって前売り券を小倉まで母と買いに出かけたのです。車の無い時代、バスを乗り継いで、やっとのことで手に入れたチケット。そして運命の13日がやってきます。
雨だったら最後…予報は曇り。こんな特別な日に雨は降らないだろうと思いきや、天気の移り変わりが一日早まり、当日は朝から土砂降りの雨。それでも一縷の望みを持って球場まで出かけました。きっと試合を見られると思っていましたが、球場に着いてもまだ雨は降っています…。
試合開始は午後1時。チケット売り場の女性に父が尋ねます。「今日は、やはり中止でしょうか。」「そうですね、雨が降り続くと、ちょっと難しいでしょうね。」中止するなら中止するで、そう言ってくれればいいのに、彼女なりに優しさを見せてくれたのでしょう。
結局11時過ぎに中止が決定。宣伝カーが「本日の日米野球は雨のため中止となりました。」と走り始めます。詰めかけていた人たちも三々五々帰っていきます。
しかし、私は入り口ゲートにしゃがみ込み、どうにも動けなかったのです。父がなだめても、それをものともせず居座り続け、父を困らせ続けたのでした。
あれから55年。父も母も他界してしまいましたが、今でもその日のチケットは引き出しに大切にしまっています。幼い頃の思い出という枠組みにとどまらず、これからも永遠に忘れることのない大切な家族との思い出なのです。
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