[N1] レッスン 1

  • 『タテ社会(しゃかい)人間(にんげん)関係(かんけい)中根(なかね)千枝(ちえ) (しょ)

    先月(せんげつ)94(きゅうじゅうよん)(さい)()くなった社会(しゃかい)人類(じんるい)学者(がくしゃ)中根(なかね)千枝(ちえ)さんの(わか)()冒険(ぼうけん)物語(ものがたり)映画(えいが)人気(にんき)シリーズ「インディー・ジョーンズ」を彷彿(ほうふつ)とさせるようなスリルに()ちている。

    津田塾(つだじゅく)英語(えいご)勉強(べんきょう)(ちゅう)終戦(しゅうせん)(むか)え、その()共学(きょうがく)になった東大(とうだい)入学(にゅうがく)する。東洋(とうよう)文化(ぶんか)研究所(けんきゅうじょ)助手(じょしゅ)をしていた1953(せんきゅうひゃくごじゅうさん)(ねん)昭和(しょうわ)28(にじゅうはち)(ねん))から(さん)年間(ねんかん)インドに滞在(たいざい)1959(せんきゅうひゃくごじゅうきゅう)(ねん)昭和(しょうわ)34(さんじゅうよ)(ねん))から1962(せんきゅうひゃくろくじゅうに)(ねん)昭和(しょうわ)37(さんじゅうしち)(ねん))にかけてはイギリス、イタリア、その(ほか)シカゴ大学(だいがく)、ロンドン大学(だいがく)研究(けんきゅう)()む。研究(けんきゅう)テーマは未開(みかい)民族(みんぞく)社会(しゃかい)構造(こうぞう)である。

    インドではゾウに()り、トラやヒョウには何回(なんかい)遭遇(そうぐう)した。(ちい)さなヘビならまだしも、人間(にんげん)丸呑(まるの)みにするほど(おお)きいヘビもいた。そのようなヘビには(とく)警戒(けいかい)し、目的(もくてき)(むら)では()()みで調査(ちょうさ)(おこな)った。つい最近(さいきん)まで「首狩(くびか)(ぞく)」だった(むら)にも()った。それは過去(かこ)のことで(いま)(おこな)われていないといえども、村長(そんちょう)(いえ)には(かべ)いっぱいの頭蓋骨(ずがいこつ)があり、これにはさすがに(おどろ)いた。過去(かこ)(なに)(おこな)われていたのか、()(もっ)()ったのだ。数個(すうこ)ならまだしも、こんなに(おお)いとは。まさに、インディー・ジョーンズ(ごと)きである。

    この研究(けんきゅう)欧州(おうしゅう)学会(がっかい)(たか)評価(ひょうか)され、各地(かくち)講演(こうえん)研究(けんきゅう)発表(はっぴょう)(おこな)った。

    日本(にほん)農村(のうそん)調査(ちょうさ)(はい)ると、各地(かくち)共通性(きょうつうせい)()()くようになった。「()()い」に代表(だいひょう)されるタテの序列(じょれつ)基調(きちょう)とする集団(しゅうだん)行動(こうどう)である。大学(だいがく)教授会(きょうじゅかい)で話を聞くにあって、その行動(こうどう)が「()()い」と(おな)じだと()づく。つまり日本(にほん)社会(しゃかい)特質(とくしつ)ではないか。そんなアイディアから()まれたのが100(ひゃく)万部(まんぶ)()えるベストセラーになった「タテ社会(しゃかい)人間(にんげん)関係(かんけい)」である。高度(こうど)成長期(せいちょうき)(なぞ)()文献(ぶんけん)として、刊行(かんこう)から現在(げんざい)(いた)るまで(おお)くの(ひと)()まれている。「タテ社会(しゃかい)であるだけでなくヨコの関係(かんけい)(よわ)いために、日本(にほん)では下層(かそう)において孤独(こどく)(ふか)まるだろう」とか、その(ほん)では格差(かくさ)社会(しゃかい)到来(とうらい)をも予言(よげん)していた。

    津田塾(つだじゅく)1900(せんきゅうひゃく)(ねん)創設(そうせつ)女子(じょし)英学塾(えいがくじゅく)日本(にほん)私立(しりつ)大学(だいがく)1948(せんきゅうひゃくよんじゅうはち)(ねん)津田塾(つだじゅく)大学(だいがく)創設(そうせつ)

    ()()い=(むら)協議(きょうぎ)機関(きかん)(はな)()いや親睦(しんぼく)(ため)(あつ)まり)

    タテ()り=部署(ぶしょ)沢山(たくさん)あり、自分(じぶん)部署(ぶしょ)専門(せんもん)になってしまって、(うえ)(した)(こと)()からない)

  • (ちち)命日(めいにち)

    (しち)年前(ねんまえ)(あき)息子(むすこ)結婚式(けっこんしき)当日(とうじつ)(ちち)()くなった。83(はちじゅうさん)(さい)(ちち)祖父(そふ)から()()いだ(ちい)さな椎茸(しいたけ)問屋(どんや)(いそが)しく(いとな)みながら、毎週(まいしゅう)一回(いっかい)はエアロビクス教室(きょうしつ)にも(かよ)い、(ひと)一倍(いちばい)健康(けんこう)()をつけていた。また、(まご)たちを(こころ)から可愛(かわい)がる、信頼(しんらい)()(ちち)であった。

    (はは)から連絡(れんらく)があったのはお(ひる)(まえ)だった。(ちち)がエアロビクス教室(きょうしつ)転倒(てんとう)し、意識(いしき)(うしな)ったとのこと。あの元気(げんき)(ちち)(きゅう)(たお)れるとは。あまりの衝撃(しょうげき)(なに)(かんが)えられなかった。(なみだ)()てきたが、()いたところで(なに)()わらないと(おも)い、(あわ)てて病院(びょういん)()()けた。(のう)出血(しゅっけつ)による昏睡(こんすい)状態(じょうたい)で、医者(いしゃ)からは()(ほどこ)しようがないと()われてしまった。

    一週間(いっしゅうかん)()には息子(むすこ)結婚式(けっこんしき)予定(よてい)されていた。心待(こころま)ちにしていた初孫(はつまご)結婚式(けっこんしき)である。強行(きょうこう)すべきか、(まん)(いち)(とき)はどうすればいいのか。その()主人(しゅじん)(はは)弟妹(ていまい)らと(よる)(おそ)くまで(はな)()いが(つづ)いた。

    そして(ちち)には(もう)(わけ)ないが、予定(よてい)(どお)結婚式(けっこんしき)(おこな)うことが()まった。(おこな)うと()めたものの、(ちち)看病(かんびょう)(しき)披露宴(ひろうえん)()()わせなど、(あわ)ただしい日々(ひび)(つづ)いた。(なん)とか当日(とうじつ)になると、神社(じんじゃ)での挙式(きょしき)、ホテルでの披露宴(ひろうえん)とスケジュールは順調(じゅんちょう)(すす)んでいった。披露宴(ひろうえん)無事(ぶじ)()わり、招待客(しょうたいきゃく)見送(みおく)っていると、(おとうと)がいないことに気付(きづ)いた。(むね)がざわつく。(いもうと)(かん)(きわ)まりながら(ちか)づいてきた。「お(とう)さんが()くなったよ。」ああ、やはりそうだったんだ。

    「お(とう)さん、最期(さいご)()()えなくてごめんね。でもお(とう)さんの可愛(かわい)がっていた(まご)結婚式(けっこんしき)無事(ぶじ)()わったよ。()うまでもなく、とても素敵(すてき)結婚式(けっこんしき)だったよ。」と(こころ)(なか)でつぶやいた。迷惑(めいわく)をかけないように、披露宴(ひろうえん)()わるまで一人(ひとり)病室(びょうしつ)必死(ひっし)頑張(がんば)ってくれていたとは…それを(おも)うと一気(いっき)(なみだ)があふれた。お(とう)さん、本当(ほんとう)にありがとうね。

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